マインの理念
何故水にこだわるのか
多分、幼少の体験から来ていると思います。
私の生まれは四国の高知県です。
小さな漁村できれいな川が流れていました。
母方の里で生まれたので育ったのは大阪ですが、毎年夏に高知に行き川で泳いでいた気がします。
高知県と言えば四万十川が有名ですが、勝るとも劣らないぐらいに本当にきれいな川でした。当時、四万十川を見てもきれいと思わなかったぐらいですから相当きれいな川だったのでしょう。
でもその川が一瞬で駄目になりました。
ある夏休み、川底がはっきり見えるぐらい澄んでいた川の水が白濁とした緑色に変わってしまった川を見ました。
上流に生コン工場が出来て川は一気に変わってしまったとのことでした。 今の時代でしたらそんなことは無い(少ない?)と思いますが時代が時代でしたので許されてしまったのでしょう。
「誰も川で泳がなくなった」と、祖母は言っていました。
その後、誰も泳がなくなった淵(川の深くなっている所)にはコンクリートブロックが沈められ、堤防はきれいにコンクリートで護岸工事がなされました。
昔の面影は全く無くなってしまいました。
子供ながらに「何て酷いことをするんだ!」と腹立たしく感じた記憶があります。
今でも川を見るたびに、どんな水が流れているか覗き込んでしまうのはそうした体験があるからかもしれません。
水に関する仕事に就いたのも水に興味があったからだと思います。
二十年ぐらい前ですが、カヌーで川を下る遊びを趣味にしていましたが、下ってみたいと思えるきれいな川が、あまりにも少ないことに気づかされました。
当時、私は浄水器の販売の仕事をしていました。今みたいに水を買うのが当たり前の時代ではなく「国がやっていることだから水道水は安全、浄水器なんて必要ない!」という時代でした。
販売するにあたって事実関係を猛勉強しました。
その結果、いかに水道水が危険で、いかに国がいい加減なことをしているかを知ることになりました。(今は改善されていると思いたいですが) 国と言っても働いているのは個人ですから100パーセント完全でないのは当たり前なのですが、国(お上)となると盲目的に信用してしまうから不思議です。
少しずつですが時代は変わってきています。
偽装問題に居酒屋タクシーなど不正行為がどんどん明るみに出て、段々不正を許さない時代になってきたのは大変喜ばしいことだと思います。
川を下っていると本当にいろんなものが見えてきます。
普段は川をまじまじと見ることなどあまりないのですが、川を下っている間はずっと目の当たりにするわけです。 護岸工事にコンクリートブロック、泡だらけの支流(多分、生活排水が流れ込んでいるからだと思います)、ゴミ袋の切れ端や空き缶にペットボトルなど数えあげればきりがありません。
山間を抜け民家が増えてくると決まって川は汚れてきました。
人間の体の大半は水分で出来ています。
体の水が濁れば病気になります。
川の水をろ過して水道水にするわけですから、川を汚すという事は必ず自分たちにも跳ね返ってくることに改めて気づかされました。
汚したものをきれいにするのも大事ですが、きれいなものを汚さないのも大切です。 ミネラルウォーター全盛の時代になりましたが、口に入る全ての水をそれで賄うのは大変です。
やはり水道水に頼らざるを得ない部分もあると思います。
仕事柄、周りの人に水が汚れていると話してはきましたが、自分の力で水をきれいに出来ないものかと考えるようになりました。
汚れた水をきれいにし、きれいな水をこれ以上汚さないようにすることが子供たちの未来のための使命だと今、私は感じています。
